「被食趣味の歴史」


1.原始時代

「被食系」のシチューション自体はギリシャ神話の頃から存在していたが、この頃はまだ「捕食者が被食者の能力を
得るために食べる」と言う原始的カニバリズムの域を脱しないものであり、精緻な体内描写を伴う物語の登場は見られない。
取り敢えず、性別云々は抜きにしてある程度まとまった形で「体内侵入」と言うシチュエーションが登場するのは
F.ラブレー(1494?〜1553)の代表作『ガルガンチュア物語』の続編『パンタグリュエル物語』第2の書・33章であろう。
そのあらすじは大食らいの巨人・パンタグリュエルが病気になったので農民たちが真鍮製の球に乗り込んで口から
パンタグリュエルの体内に入り、(後年『トイレット博士』の第1話でやったように)体内の汚物を掘り起こして
口から脱出する、と言うものであった。日本ではほぼ同時期の室町時代に『御伽草子』がまとめられており、その中に
「一寸法師」が収録されている訳であるが西洋では「病気治療」・東洋では「被食者が捕食者を攻撃」とその目的が
正反対のまま後に発展を遂げるのは何とも面白い現象である。
そして、(厳密には人間ではないが)16世紀に入りようやく女性に食われる作品が登場することになる。
そう、呉承恩(1500〜1582)の『西遊記』第59回「唐三蔵、火焔山に路を阻まれ孫行者ひとたび芭蕉扇を調しとる」の
回である。天竺への苦難の度を続ける三蔵法師一行であったが、その中途で燃えさかる火焔山に行く手を阻まれる。
その炎を消すには牛魔王の妻・羅刹女が持つ芭蕉扇が必要だと言う。そこで孫悟空は羅刹女の元へ出向き、
芭蕉扇を貸してくれと頼むが追い返される。一計を案じた悟空は虫に化けて羅刹女の茶に飛び込み……。この話もやはり
「被食者が捕食者を攻撃」のパターンであり、この頃はまだ(現在ほど医学が進歩していなかったこともあるのだろうが)
胃液の溶解力に注目した描写と言うのは見られない。とは言え、羅刹女の体内で「肺も肝臓も見て来た」と自慢する
悟空によって人類はまた一つ(;´Д`)ハァハァするシチュエーションの鍵を手に入れた訳であり、その偉大な功績は
世界の被食趣味者の間で永遠に語り継がれるであろう。余談だが、陳舜臣『新西遊記』(中央公論社/現在は集英社刊
「陳舜臣中国ライブラリー」もしくは講談社文庫に収録)下巻では物見遊山で子宮に踏み込もうとする悟空を「そこに
入っちゃダメ!」と羅刹女が拒んだり悟空が「口から出て欲しいか、それとも尻の穴からにするか」と吹っかける場面が
あったりして(;´Д`)ハァハァ


2.開化直前

戦前に日本で確立された漫画と言う表現がこのシチュエーションに着目するのにそう時間は
かからなかった。手塚治虫は1948年に『吸血魔団』(後に改訂され『38度線上の怪物』として発表)を
執筆し、その中で「人間の体の中を研究したくて縮小薬を発明する博士」を登場させている。
この作品をベースにしたのがアニメ『鉄腕アトム』の第88話「細菌部隊」であるが、まだこの時期は
女性の体内に侵入して(;´Д`)ハァハァするシチュエーションは確立されておらず、侵入する体は
いずれも男である。また、1966年には筒井康隆が週刊少年サンデーで『細菌人間』を発表している。
この作品は主人公が光線でミクロ化し、父の脳に巣食う細菌を退治する話である(2000年に
出版芸術社より刊行)。そして、同じ1966年に米国で『ミクロの決死圏』(原題:Fantastic Voyage)が
公開されるのであるがこの作品のシチュエーションが「細菌部隊」のパクリであると言う説についての
最も有力な説は以下のようなものだと言う。

> いつものように大忙しの手塚治虫にハリウッドから電話がかかってきた。手塚治虫の描いたマンガについての問い合わせである。
>「38度線上の怪物」(吸血魔団)という作品をもとに映画をつくりたいというものだった。ところが、いったいいつ眠っているんだろうという忙しさの
> 手塚治虫との電話でのやりとりは要領を得ないものだったらしい。
> 要するにアメリカにきてくれないかという話だったらしいのだが、虫プロの代表の手塚治虫は、ディズニーランドの代表とは違って、
> 実際にペンをとって書いている現役バリバリなのだ。何度か電話が来たのだが、
> そのうち音沙汰なしとなった。気にはなっていたものの忘れかけた頃、「ミクロの決死圏」という映画が発表されたのだ。
> このときあの手塚治虫が、「やられた!」と思ったと書いている。まあ、法的なことは先方でクリアしてしまったわけなのだろう。
> しかし、あれは、なによりもアイディア勝負の映画なのであって、もともとの手塚治虫の原作がなければ、存在しえないもので
> あったはずなのである。

ttp://occhan2000.hp.infoseek.co.jp/memo20020617.htm


3.突入

1970年10月、ついに探検の幕が開いた。少年ジャンプの新連載『トイレット博士』(とりいかずよし)の
第1話「体内探検の巻」である(現在は太田出版より復刻版が刊行中)。ある日、トイレット博士は縮小薬を発明する。
そこへとある良家の執事が訪ねて来た。執事曰く、お嬢様の便秘を治して欲しいとのこと。そこで、縮小薬を飲んだ
トイレット博士と助手がお嬢様の口から体の中に入り便秘を治療することになるが……。放屁による脱出と言うのは
遠藤周作「初春夢の宝船」(講談社文庫『ユーモア小説集』収録)にも共通するところであるが、やはり漫画(と言うか
視覚的に見せる効果)と言うのは侮れない。この後、1973年に永井豪『あばしり一家』最終話「法印大子の巻」こちらは
GTSモノ。秋田書店チャンピオンコミックス・角川文庫に収録)・そして1975年の小学五年生11月号の『ドラえもん』で
被食趣味者の聖典として今なお語り継がれる「たとえ胃の中水の中」が掲載されたのである。


4.絶頂

「たとえ胃の中水の中」は発表後27年を経た現在でもなお揺らぐこと無く「聖典」の地位を
欲しいままにしている。その理由は何と言っても『ドラえもん』と言う作品が数少ない国民的地位を
確立しており、現在でも容易に収録単行本(てんとう虫コミックス10巻)が入手可能な点にある訳だが、
それ以上に少ないページ数でこれでもかとばかりに凝縮されたフェティッシュな要素の数々が幼心に
トラウマとなって残るに十分すぎる破壊力を秘めた出来映えであったからに他成らない。ある
ドラえもん系ファンサイトでは

> この話は、年頃の女の子の体の中に進入したり、排泄を連想させたり、ねそべった
> まま動かないように命令したりする少々変態的なシチュエーションにエッチさが
> あるように思われます。

と評されているが、2回にわたるアニメ化(1980年・2002年)ではいずれもこの要素が
減殺されてしまっているのが惜しまれる。それ以上に「胃液のドロドロ具合が全然
出ていない」とか「胃の中の広大さを印象付ける場面が無い」とか言い出せばキリが
無い訳であるが……。
 ともかく、この作品が小学五年生誌上で発表された当初の反応は知るべくも無いが
単行本に収録されて後に爆発的人気となり、現在まで世代を超えて読み継がれるだけの
力量をこの作品が持ち合わせていたからこそ、10コマばかりの体内描写に凝縮された
皆のアイドル・しずかちゃんののどチンコや艶めかしくうねる胃壁・躍り食いした
ピーナッツが浮かぶドロドロした胃液の湖面――それらは体内から脱出後にのびドラが
悪戯心から起こした自作自演としずかちゃんの動揺に至るまでをも包括して「究極の
スカトロ表現」と一部で絶賛される結果となったのであった。

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