ホルス・サーガ
巨大看護婦体内漂流記(後編)
笛地静恵

6・午前11時:あと10時間

 小腸から大腸へと入っていた。体内で8時間が経過していた。小腸の後半分である回腸は、盲腸と結腸の境で開口している。回盲口(かいもうこう)という。ここでは、回腸の末端部分が、大腸の内腔部に突出している。回腸壁と大腸壁の二重の層で出来た上下二枚の筋肉の層が、弁を作っている。これは、大腸の内容物が、小腸に逆行することがないようにしている。宝部を乗せたスーツは、ここで耐久性の限界を試されていた。重量と圧迫の危険値を示すライトが、赤く点滅していた。修理の必要を、警告しているのだった。彼の恐怖が、刻一刻と増大していった。

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 志保の大腸は、宝部伍郎には、全長で千六百メートルに及ぶ地下の大トンネルである。植物繊維、その他の一部の食物の消化を行なうが、その働きの中心は水分の吸収である。糞便が形成されているのだった。宝部には、若干トンネルが太くなっているように思えた。直径は、もし完全な円形となれば、八メートルぐらいはあるだろうか。

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 大腸の正常運動は、蠕動だけである。小腸よりは活動が穏やかになったという印象が、宝部にはあった。盲腸から、横行結腸の右の三分の一の部分では、逆の蠕動が発生することがあった。腸内容物の撹拌と吸収に役立っていた。それだけを、警戒すればよかった。

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 小腸と大腸の粘膜の大きな相違は、あれほどに密生していた、絨毛がないことだった。粘膜面に密生している腸腺は、小腸よりは長く深いようだった。配列も密度がある。杯細胞はあるが、パネート細胞もなかった。円柱状の皮が連続していた。

7:正午:あと9時間                  *

 三つの部分に別れる。盲腸に続いて、志保の引き締まったウエストの身体の右側。後の腹壁の前を上に登る。上行結腸(じょうこうけっちょう)という。

8:午後2時:あと7時間

 右の腎臓の下端の前で、左に折れている。胃の大湾曲面に沿って、十二指腸の前を左に走っている。食物の重量で、胃が若干、小腸の部位にまで下垂していた。大食いの志保がお昼も暴飲暴食したのだろう。狭くなっていた。ブラに包まれた白い巨乳の下の線ぐらいである。横行結腸(おうこうけっちょう)という。壁面の半月状の、でっぱりが目立っていた。結腸紐と呼ばれる縦走筋が、内部でも見えているのだった。三本のロープを撚り合せたような、頑丈なものである。

9:午後4時:あと5時間

 空気が濁っていた。酸素量が減少し、二酸化炭素が増加している。空気が重かった。肺がもっと酸素をくれと、悲鳴を上げていた。頭痛がしていた。目がくらんでいた。意識を保って、いられないかもしれなかった。しかし、それは死を意味するだろう。睡眠の権利も剥脱されていた。酸素タンクのバルブが詰まっていて、酸素の含有量が計器よりも少なかったことに、ようやく気が付いた。それでもメーターが減少しているということは、どこかで漏れてもいるのだった。オンボロ・オペ・スーツがにくらしかった。蹴飛ばしていた。

10:午後5時:あと4時間

 左側の腹腔の、上の隅の膵臓の下端で、再び下に折れる。左側の後の腹壁の前を下る。下行結腸(かこうけっちょう)。速度が増していた。

                 *

 左の腸骨窩から、骨盤入り口にかけてS状に湾曲している。S状結腸である。すでに志保の雄大な下半身の世界に入っている。白衣のスカートのヒップを左右に振って、志保の活躍は続いていた。スタッフ・ミーティングで、夜勤の看護婦への、仕事の引き継ぎをしていた。

11:午後6時:あと3時間

 骨盤に入って直腸になる。S状結腸に続いて、骨盤の後壁。仙骨と尾骨の全面を下っている。尾骨下端の前下方で肛門として外に開いている。深さは、宝部には二十メートルはある。バックを犯した時の彼のペニスは、この場所と同じぐらいのある肉の塔だった。信じられないぐらいだった。遠くの世界のことにおもえた。この場所は、志保の子宮と膣の後にあった。

                 *

 宝部は、知恵と知識と経験のすべてを尽くして直腸に辿り着いてた。彼でなければ、もう五回は、死んでいただろう。それほどに危機的な状況が、連続していた。もっとも腹立たしいことは、この障害のすべてが、志保の不随意筋による反応であったということだ。随意筋はない。彼女自身の意志は、介在していない。知りもしないということだった。ただ無知無能な、色気違いの看護婦の、相対的に巨大であるというだけの肉体に、玩ばれているだけのことだった。これほどに完全な、他者への支配の構造は、ないだろう。育ちの貧しさと苦労もあって、他者を支配する欲望に、取り憑かれている宝部には、耐えられない状況だった。

12・午後7時:あと2時間

 しかし、人体内の冒険という神秘な旅も、終着地点に辿り着いたようである。そこには、志保の便秘の宿便が、粘土質の岩盤のような堅固さで堆積していた。横に広い溝のように走る「コールラウシ」襞を確認していた。現実には、もう肛門から六センチメートルぐらいの距離に来ているだろう。彼には、六メートルということになるだろう。これ以上は、オペ・スーツの性能だけで、突破することは不可能な状況だった。鑿岩機か、工事用のロボットのモンローの力を、必要とするだろう。彼は約束を守った。後は、志保の潅腸の処置を、待つしかなかった。操縦席のシートに身体を倒していた。睡魔が襲いかかってきた。

                 *

 職員用の女子トイレで。
 志保は、いちばん奥のトイレで、一人しゃがみこんでいた。
 二人の小用を住ませた、夜勤の看護婦達が、鏡の前で小声でおしゃべりをしていた。志保がいることには、気が付いていないらしかった。
「ねえねえ、聞いた?」
「なあに?」
「宝部先生のこと」
「先生が、どうしたの?」
「昨晩から、行方不明なんですって!」
「ホント!?」
「しぃ、声が大きい。ホントウのことらしいわよ」
「そんなの、初耳だけど……」
「体内外科病棟全体に、箝口令が、しかれているんですって。帝都大学の菊池先生なんて、貧血で倒れたんですって」
「へえ。へえ。へえ」
「宝部先生、敵が多かったでしょ?今度の佐々木さんの医療ミスの問題も、あるしさア」
「……だからなのか」
「どうやら警察にも、通報いていないらしいわよ」
「でも、宝部先生は、病院から出ていないの?」
「帰宅してもいないのよ。執務室から、直接に姿を消したらしいわ」
「まだ、病院の中にいるのかしら?」
「長谷川医学部長が、先頭を切って青くなって走り回っているらしいわ」
「大事な時期ですものね」
「医学部長の選挙にも、絶対に影響があるわね」
「基礎医学グループの、我らが人望の厚い河西先生にも、これで可能性が出てきたわね」
「見つかるかしら?」
「どうかなあ」
「今。必死で、探しているらしいわよ」
 二人のおしゃべりな白衣の天使達が、トイレから出ていった。

                 *

 志保は、満足していた。宝部先生とのことは、彼が厳密な秘密主義を通してくれていたおかげで、病院の誰にも知られていなかった。こういう場合には、好都合だった。

                 *

 ゆっくりと小用を足していた。便器の黄金の水槽の内部に、先生のオペ・スーツが、間違って浮いていないかを確認していた。いとおしそうに、白い脂肪のついた下腹部を、左右に手のひらでゆっくりと撫でていた。お腹が、痛くなってくれないかなあ。そう思っていた。膣に、指先を入れていた。濡れていた。昨夜の興奮が、醒めないのだ。先生は、志保の予想が正しければ、このすぐ近くにいるはずだったから。可愛らしかった。見えないのだが、先生が、すぐそこにいるような気がするのだ。

13:午後8時:あと1時間    

 酸素タンクの一時間分を入れても、あと二時間を切っていた。直腸の先端に、志保は、鉛のような大便の圧力を感じていた。今ならば、トイレで自然に排泄ができそうに思えた。ちょうど、その時に婦長の岡崎夏子に、呼び止められた。
「勤務の予定のことなんだけど、島崎さん。今日。一時間だけ、残業してもらえないかしら?」

                 *

 ……しばらく間をおいて、志保は尋ねた。
「……いいですけど?なぜですか?」
「それがね。宝部伍郎先生が、急なアメリカ出張で、不在になっちゃたらしいの。おかげて、各先生のローテーションが、狂っているの。看護婦の配置も、影響を受けちゃって……、天手古舞の状況なのよ」
 婦長は、深いため息をついていた。
「……それなら。いいですよ……」
 志保は、それだけを答えていた。

                 *

 終了は、10時過ぎになる。もうオペ・スーツに、酸素はタンク分しか残っていないだろう。それも使いきれば、誇り高い宝部先生は、彼女の体内で黄金のウンコに埋もれたままで、死ぬのだ。婦長は、そのことに気が付いてもいない。

                 *

 宝部伍郎が、卑小な男だったからだ。なんだ、そうだったのか。ようやく分かった。逆に、自分が、ひどく巨大な女性に感じられた。体内の迷宮に、小人を幽閉しているのだった。白衣の巨人。歩く白い巨塔のようだった。昨日までは、看護婦達に怒鳴り散らし、威張り散らしていた。誇り高い帝都大学出身の医師である。傲慢不遜な、あの小男。せっかくの「脱出装置」を、使いもしなかった。菊池怜子に彼を渡しても、もうなんとも思わなくなっていた。不思議なことだった。彼のことを、あんなに大切に考えていた日々が、嘘のようだった。愉快だった。解放感があった。

14・午後9時:あと0時間(予備酸素タンク1時間)          
 宝部伍郎は、ついに酸素の予備タンクを開いていた。新鮮な空気が、宝部の意識を蘇らせていた。甘い。高原の空気のようだ。人生最高の美酒だった。助かるのではないかと思った。希望が沸き上がってきた。あの志保が自分を、こんな風に始末できるはずがなかったのだ。これは、彼女からの贈り物に思えた。

                 *

 島崎志保は、体内外科の入院患者の病棟がある、旧館の暗い石の廊下を歩いていた。ハイヒールをコツコツと響かせながら、通り過ぎる才色兼備のビジネス・スーツ姿の菊池怜子にすれ違った。外出先から、急いで駆け付けたという感じだった。蒼い顔をしていた。白衣の看護婦姿の志保が、病院の備品であるかのように、挨拶もしなかった。焦っているのだろう。

                 *

 オペ・スーツは、体内で発見できなくなった時の、最後の確認の手段として、極微量な放射線を発している。が、それも医療用の高性能のガイガー探知機で、皮膚から三十センチ以内の至近距離から探査しないかぎり、発見は無理だった。もう、宝部先生は、この世に存在しなくなったも同然だった。志保は、にんまりと笑っていた。

                 *

 偶然のことだが、壁に人間の消化器官の全景を図解する、一般の患者向けの教育目的のポスターが張ってあった。宝部伍郎先生は、この全体を、約二十四時間をかけて旅をした。今、その終着点にいるはずだった。志保は、看護の専門学校での授業の内容を思い出していた。直腸では、縦の筋層が、全周性に一様に広がっている。直腸下部から肛門にかけて、肛門拳筋と融合している。これらの筋肉によって、強力な排泄が可能となるのだった。

                 *

 直腸の筋層の内でも内輪層は、肛門部で肥大して厚くなっている。輪状の平滑筋からなる、内肛門括約筋となっている。その外には骨格筋性の外肛門括約筋がある。宝部は、その直腸の内部にいるのだった。志保は、自分の力を感じていた。彼女の肛門は、もし望むならば、それだけで容易に、宝部の命を奪えるのだった。

                 *

 宝部は、いまでもこれが、志保の悪巫山戯だと思っていた。あいつが自分なしで生きていけるとは、思っていなかった。急激な酸素に、酔ったような状態になっていた。後で、彼に匹敵する恐怖を、何らかの形で味合わせた後で、始末するつもりだった。彼にこれほどの、恐怖と屈辱を与えた女を、許しておくわけにはいかなかった。

                 *

 証拠を捕まれずに、人間を殺害する方法など、片手に余るぐらいには浮かんでいた。彼は、できるかぎり残虐な復讐の方法を夢想することで、ともすれば暗黒に飲み込まれていく、自我を支えていた。予備タンクの酸素も、使いきろうとしていた。本当は、彼の自慢の殺人計画も、志保の自慢の白い巨乳を麻酔なしに、手術用のメスで抉るという、同じ所をうろうろするばかりだった。そこから先へは、ほとんど進んでいないのだった。

                 *

 宝部には、直腸の先端部の、肛門の筋肉のすぼまりが便とスーツを締め付ける力への不安があった。

                 *

 それから、トイレで肛門から水面までの落下。スーツと彼には、数十メートルの距離に及ぶ。苛酷な試練だった。水面に激突する衝撃に、弱ったスーツの機体が耐えてくれるか。彼には分からなかった。裂ければ、一巻の終わりだった。信じて賭けてみるしかなかった。何とかなるだろうと思えていた。このポンコツな機体の強靭さを、信頼するような気持ちになってきていた。

15・午後10時 あとはなし。

 志保は、患者の待合室の廊下の自動販売機で、缶コーヒーを買って飲んだ。胃に食物が入ると、横行結腸から強力な大蠕動を起こすことがある。これを胃・結腸反射と呼んでいる。大蠕動によって、腸内容物が、直腸内に送り込まれる。直腸壁は伸展して内圧が高まる。便意を催す。排便反射である。しかし、外肛門括約筋は、脊髄反射に支配されている。排便反射を意志的に抑制することができる。しかし、この場合に直腸内にガスが貯まっていると、それは体外に排出されることがある。すなわち志保は、白衣の大きな尻から、白いビキニのパンティの内部に、大きく放屁した。体内の空気をすべてを、押し出すような勢いだった。幸いに、周囲に人影はなかった。燃えないゴミの箱に空缶を投げ捨てた。何事もなかったかのように、歩きだしていた。そう、何事もなかった。志保にとっては。

                 *

 宝部は、足元で壮大な爆発音を耳にして目を覚ましていた。眠ってしまっていた。そのために、瞬間の判断が遅れた。ガスが抜けた空隙を埋めるために、右上側の磁鉄鉱の大岩のような固い黒い便が、液状化した斜面を滑落して来たのだった。「アイザック参號」の頭上から落下していた。スーツの三層の特殊な強化プラスティックからなる圧力隔壁が、ついに破壊されたのだった。宝部は密閉されていたはずの操縦席で、初めて志保の便臭を嗅いでいた。空気の漏れる悲鳴のような音がしていた。粘性のある暗黒の鋼鉄のような便が、操縦席の内部にも、もりもり、むりむりと黒い雲のように押し寄せて溢れていた。彼の身体を押し潰していった。両手で払い除けても、はらいのけても、押し寄せてきた。やがて濃厚な大便は、鼻の穴から口の中にまで入ってきた。苦かった。吐き出せなかった。宝部は、女の便に溺れていった。

16・午後10時10分 マイナス10分

 志保は、看護婦寮の自室のトイレで、深夜に排便をした。潅腸ではなくて自然の要求による、おつうじだった。珍しいことだった。爽快な気分だった。一週間分なので、かなりの大量だった。とぐろを巻いた黒褐色の大便の山の中から、宝部の乗った緑のアイザックの残骸を掘り出した。赤い血の中で、判別が容易なように、機体はたいていが、この着色になっている。

                 *

 旧式の「アイザック参號」の機体は、プレートの番号も消されて、廃棄処分されていたものである。それから、志保の前の彼氏が、修理したものだった。ナノテクノロジーのロボット工学を専攻する、大学の学生だった。志保の体内に、潜行することを好んでいた。しかし、ある朝、急激な便意を覚えた。トイレから、オペ・スーツを取り出した。中の彼が絶命していた。原因は、いまでも不明だった。その事件も、警察にばれていない。証拠湮滅のために、志保が彼を食べてしまったことが、良かったようだ。あれが、志保がこの計画を思いついた、直接の原因だっただろう。

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 コンビニの弁当に付いていた割り箸で、宝部先生を摘み上げた。なんとか、人間の形を保っていた。良く水洗いした。小皿の醤油に付けていた。汚いと思った。が、我慢して口に入れた。前の彼氏も、消化され吸収されて、志保の身体の一部分になっている。永遠に、生きてほしいと思っていた。彼女としては、一種の深い愛情の表現なのだった。宝部先生は、夜食のスナック菓子としても、一口サイズの適当な分量だった。勝利の味は、格別にうまかった。冷えたビールで乾杯していた。先生の苦みとアルコールが、絶妙にマッチしていた。

17・午前零時

 本当は、宝部先生が、「アイザック参號」の「脱出装置」のボタンを押してくれることを、志保は願っていたのだ。自動操縦で、前の彼氏の設定したプログラム通りになる。オペ・スーツの左手に装備された注射針が、腸の粘膜を突き通す。所定の分量の強力な下剤を、血管に注射する。島崎志保は、ほとんど即座に、トイレに駆け込まなければならない。そういう仕掛けになっていた。機体は、古くても手仕事でも、優秀な性能を先生に証明していたはずだ。しかし。どこの馬の骨とも分からない、技術者が作った正体不明のボタンを、宝部伍郎教授が押すことは、ついになかったのである。
巨大看護婦体内漂流記(後編)・了

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